うるさいAIの中で、変わらないデザインの価値

AI、エーアイ、うるせぇな。

心の奥底で、ずっと、そうつぶやいている。

Gemini3がどーだ、Nano Bananaがあーだ、毎日のように「次の時代が来る」みたいな空気感。

いや、来るのはわかるし、技術がすごいのもわかる。

でも、ずっとその話題に囲まれていると、正直少し疲れる。

AIはたしかに強い。

とくに初稿と調整の領域では、もう無双に近い。

初稿ならパターン出しや量産、アイデアの粗出しまで一瞬。

調整なら誤植チェックやABテスト、微細な最適化など、正確さとスピードが求められる部分はほぼAIに寄っていく。

デザイナーの介在価値が「つくること」だけでは成り立たなくなるのは、もう避けられない流れだろう。

でも、それを“デザインの価値がなくなる話”だと受け取る必要はまったくない。

デザインの価値はもっと上流、深いところにある。

作る工程は、歴史的にもずっと自動化されてきた。

文字を書くことは活版印刷の登場で写す作業から解放され、工業製品は手仕事から機械化へ移り、写真も暗室からデジタルへ、建築の世界も手描き図面からCAD〜BIMに、作業時間は道具側へと移っていった。

こうして技術が進むたびに、人間の価値は“作業”から“判断”へと押し上げられてきた。

今回のAIもその延長にあるだけで、価値そのものが消えるわけではない。

価値の“位置”がまた少し変わっていくだけ。

デザインの可能性は、企業や事業、ブランドの情報そのものをどう再設計するかにある。

整えて、構造化して、意味を与える。

そこには依頼の背景や意思に、深く触れる作業がある。

その解釈の深さこそ、AIではまだ踏み込めない部分だと思う。

何をつくるかより、どう届けるか。

そして “誰と” 実行するか。

AIがどれだけ進化しても「この人に頼みたい」という指名の価値はむしろ強まっていく。

道具がどれだけ進化しても、最終的に差がつくのは “使う側の理解と判断” だから。

鬼滅の刃でも「生殺与奪の権利を他人に委ねるな」という台詞があるけど、あれはビジネスでもそのまま通用する。

意思決定を他人任せにしてしまうと、プロジェクトはブレるし、責任も成果も曖昧になる。

自分の判断軸を持ち、目的や価値観を言葉にできる相手と組むと、デザインは圧倒的に強くなる。

AIが高度化すればするほど、“判断力を持つ人間” の価値はむしろ上がっていく。

だからAIは脅威ではなく、強化パーツ。

初稿を爆速で出し、比較材料を山ほど用意し、調整も全部やってくれる。

そのぶん、人はもっと上流に、もっと本質に、もっと意思に向き合える。

事業をどう再構成するか。

ブランドの価値をどう再定義するか。

誰にどう届けるか。

その根っこの部分にこそ、人の介在価値が残り続ける。

AIが騒がしいほど、人の介在価値を舐めんな!と強く思う。

何をつくるか以上に、誰がつくるか。

どんな理解で、どんな視点で、どんな温度で関わるのか。

そして、「この人に依頼したい」をつくれるかどうか。

AIの進化は、デザインの価値を奪うのではなく、価値の“場所”を上へ押し上げてくれるだけ。

デザインはこれからますます、意思をつくる仕事になっていく。

以上。

AI、エーアイ、うるさいから、意見を投下して、蓋をする。

Takanobu Maruyama